「三沢光晴死亡」の報道で気づいたこと 

プロレスリング・ノアの三沢光晴が13日、広島市の興行で斉藤彰俊のバックドロップを受け心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。

筆者は70年代、というより60年代からプロレスが好きなマニアだが、
ここ最近の「頭から落とすプロレス」は、どうしても価値観的に
相容れなかったのと、全日からの去り方がフェアではなかったことから
ノアという団体の試合は生では1試合も観たことがない。

テレビでは、たまーに見ることはあったが、
全日時代はやられ役で、ネックブリーカーで逃げる役どころがピッタリの
チビの小川良成あたりがデカイツラしているのを見て、
小川を重用する三沢プロレスでは興味がもてないと思った。

全日の90年代の2.9プロレスも、「がんばるなあ」と思って
見てはいたが、何か違うような気はしていた。

ニコニコ動画で、技の安売りをしない馬場とエリックの試合が
迫力と説得力で再評価されているのをみると、筆者と同じような
意見の者は少なくなさそうだ。

だから、近頃のプロレスのことはよくわからない。

したがって、今回の出来事に対するマスコミやWeb掲示板における
様々な見解それ自体に対して
賛成とか反対とか、合っているとか間違っているとか
主張できるようなことは何もない。

ただ、個人的に教訓とか、大衆の考えとか、そういうことを
気づかせる意見がいくつかあったので、それを書いておく。

>鶴田は相手の力量によってバックドロップの角度を調節していた。
>斎藤は、シロートだから、三沢のコンディションも分からずに、
>急角度で落とした。

>(斎藤は)まっとうなコーチを受けないまま何年もキャリアを重ねてハンパな危険技を
>覚えて調子に乗った結果がこれじゃないのかと…
(いずれも「2ちゃんねる」のプロレス板から)

斉藤が、道場のある団体で練習生を経験しないまま
青柳館長のところの看板をめぐる小林邦明との因縁話をこしらえてもらい、
「ハイスパート」なるプロレスになしくずしに入っていったのは事実だ。
(その前からインディー団体にも上がっていたし)

それが今回の原因だったかどうかはともかくとして、

きちんとした教育を受けていない者が
わかったフリをしていると、とんでもないことが起こりうる
少なくとも、「失敗」の都度、そのことを責められる

ということを筆者は気づかせてもらった。

経歴というのは、斉藤ほどキャリアを積んでもついてまわるのだ。

というより、キャリアを積めばつむほど
人は経歴を本格的に評価の対象とする。

それだけ、人間の信用というのは「裏付け」が求められるということだろう。
そうなると、信用されるような「裏付け」が何もない筆者はこれからどう生きて行くべきか、考えてしまった。

いずれにしても、当日の観客の証言では、たしかに「くの字」に曲がった
三沢に観客がしーんとなったという書き込みがいくつかある。

今後のプロレス界の事故防止の為にも、斉藤が放ったバックドロップはきちんと検証すべきだ。

翌日の試合で、彰俊コールが起こったという。
優しいのは結構だが、「事故だから仕方なかった」で済ませる意味なら
とんでもないことだ。

また、ノアは「死因は家族以外は不明」と称し、
頸椎の損傷はなかったと発表したが、
それはあまりにも説得力がなさ過ぎる。

プロレスにも、団体にも、斉藤にも責任を負わせない
原因不明の事故死にでもしたいのかもしれないが、
三沢の死を軽く見るなといいたい。


次に、識者のコメントもいろいろ議論されているが、
ターザン山本が相変わらずエジキになっている。

三沢の宿敵(?)である
馬場元子に電話したことを記事にしたら
その「野次馬根性」を批判されているのだ。

しかし、その批判者は考え違いをしている。

結局、その記事では、
元子が三沢の死をすでに知っていたということしか
明らかにしていない。

その点は批判されて当然だと思うが、
元子の様子を窺ったターザンは間違っていないと思う。

ターザンに限らず、
書き屋というのはそうでなければならない。

野次馬根性を発揮しない書き屋に存在価値はない

不謹慎といえば、不謹慎かもしれない。
しかし、それはファンが聞きたいことでもある。
結論としてターザンは、書き屋としての仕事をしたに過ぎない。

馬場元子のことを知りたいファンはいる!

かんたんにいえば、暴き、覗き見など、
国民の汚い欲求を、国民にかわって行うのも
マスコミジャーナリズムの仕事なのである。

それをもって、わかってない大衆は「マスゴミ」というが、
冗談じゃない。

「暴き、覗き見」を否定して、世の中は1ミリでも進むのか?

人間は間違いうるが、自分の弱いところを隠したり
嘘をついてごまかしたりするものだ。
だがそれを許していたら、悪事は何も解決しない。
だから、「暴き、覗き見」するのだ。

もちろん、個々の行為が、法的道義的に議論すべき場合も
あるが、「暴き、覗き見」そのものをまるごと否定する了見はおかしい。

「暴き、覗き見」はプライバシーに踏み込む
誤りを犯すこともあるが、政権も倒せる。
そういうものなのだ。

往生に素懐を遂げられた三沢選手のご遺徳を偲び、哀悼の意を表したい。
[ 2009/06/15 03:16 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL